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a1051984p1q1 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] ドイツ語圏などヨーロッパ大陸では広くディプロームと表記される。フランス語圏での表記は 。 | ヨーロッパの中でも観光地として名高い場所は。 | {
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"ドイツ"
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a1051984p1q2 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] ドイツ語圏などヨーロッパ大陸では広くディプロームと表記される。フランス語圏での表記は 。 | ヨーロッパ大陸でディプロマは何と表記されることが多いか。 | {
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a1051984p1q3 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] ドイツ語圏などヨーロッパ大陸では広くディプロームと表記される。フランス語圏での表記は 。 | ヨーロッパ大陸で広くディプロームと表記されるのは | {
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a1051984p2q0 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] イギリスなどでは、修士課程への進学資格としてのグラデュエート・ディプロマや、修士課程から修士論文のみを省いた、研究以外の大学院レベルでの修業を証明する為のポストグラデュエート・ディプロマ(Postgraduate Diploma)を多くの大学が授与している。グラデュエート・ディプロマはQCFレベル6、ポストグラデュエート・ディプロマはQCFレベル7と等価とされる。 | QCFレベル7と等価とされるのは | {
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"ポストグラデュエート・ディプロマ"
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a1051984p2q1 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] イギリスなどでは、修士課程への進学資格としてのグラデュエート・ディプロマや、修士課程から修士論文のみを省いた、研究以外の大学院レベルでの修業を証明する為のポストグラデュエート・ディプロマ(Postgraduate Diploma)を多くの大学が授与している。グラデュエート・ディプロマはQCFレベル6、ポストグラデュエート・ディプロマはQCFレベル7と等価とされる。 | 修士課程への進学資格としてディプロマのことを何というか。 | {
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"グラデュエート・ディプロマ"
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a1051984p2q2 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] イギリスなどでは、修士課程への進学資格としてのグラデュエート・ディプロマや、修士課程から修士論文のみを省いた、研究以外の大学院レベルでの修業を証明する為のポストグラデュエート・ディプロマ(Postgraduate Diploma)を多くの大学が授与している。グラデュエート・ディプロマはQCFレベル6、ポストグラデュエート・ディプロマはQCFレベル7と等価とされる。 | イギリスなどでは、修士課程への進学資格で与えられるのは何か | {
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"グラデュエート・ディプロマ"
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a1051984p2q3 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] イギリスなどでは、修士課程への進学資格としてのグラデュエート・ディプロマや、修士課程から修士論文のみを省いた、研究以外の大学院レベルでの修業を証明する為のポストグラデュエート・ディプロマ(Postgraduate Diploma)を多くの大学が授与している。グラデュエート・ディプロマはQCFレベル6、ポストグラデュエート・ディプロマはQCFレベル7と等価とされる。 | イギリスなどで多くの大学が授与している、修士課程への進学資格としてのグラデュエート・ディプロマや、修士課程から修士論文のみを省いた、研究以外の大学院レベルでの修業を証明する為のものは何か | {
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"ポストグラデュエート・ディプロマ"
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a1051984p3q0 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] 日本においては、2年制及び3年制の専門学校(専修学校専門課程)卒業者に与えられる「専門士」称号の英文表記である。(2014年6月現在) | ディプロマを日本語に当てはめると? | {
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a1051984p3q1 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] 日本においては、2年制及び3年制の専門学校(専修学校専門課程)卒業者に与えられる「専門士」称号の英文表記である。(2014年6月現在) | ディプロマの日本語名は。 | {
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a1051984p3q2 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] 日本においては、2年制及び3年制の専門学校(専修学校専門課程)卒業者に与えられる「専門士」称号の英文表記である。(2014年6月現在) | 日本においては、2年制及び3年制の専門学校(専修学校専門課程)卒業者に与えられるディプロマの日本標記は | {
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"「専門士」称号"
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a1051984p3q3 | ディプロマ | ディプロマ [SEP] 日本においては、2年制及び3年制の専門学校(専修学校専門課程)卒業者に与えられる「専門士」称号の英文表記である。(2014年6月現在) | ディプロマとは日本語で | {
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a10573p0q0 | 国司 | 国司 [SEP] 国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)たちを指す。守の唐名は刺史、太守など。大国、上国の守は中央では中級貴族に位置する。 | 国司は何と読む | {
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"こくし、くにのつかさ"
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a10573p0q1 | 国司 | 国司 [SEP] 国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)たちを指す。守の唐名は刺史、太守など。大国、上国の守は中央では中級貴族に位置する。 | 古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏を何と呼ぶか? | {
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a10573p0q2 | 国司 | 国司 [SEP] 国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)たちを指す。守の唐名は刺史、太守など。大国、上国の守は中央では中級貴族に位置する。 | 国司とはどこの国の官吏? | {
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a10573p0q3 | 国司 | 国司 [SEP] 国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)たちを指す。守の唐名は刺史、太守など。大国、上国の守は中央では中級貴族に位置する。 | 古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏は? | {
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"国司"
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a10573p0q4 | 国司 | 国司 [SEP] 国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)たちを指す。守の唐名は刺史、太守など。大国、上国の守は中央では中級貴族に位置する。 | 国司の「こくし」以外の読み方は | {
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"くにのつかさ"
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a10573p1q0 | 国司 | 国司 [SEP] 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので(詳細は古代日本の地方官制を参照)、中央からの支配のかなめは赴任した国司たちにあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司たちは国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。 | 国司が司ったのは祭祀・行政・司法と何 | {
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a10573p1q1 | 国司 | 国司 [SEP] 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので(詳細は古代日本の地方官制を参照)、中央からの支配のかなめは赴任した国司たちにあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司たちは国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。 | 郡の官吏(郡司)は誰から任命された? | {
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"在地の有力者、いわゆる旧豪族"
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a10573p1q2 | 国司 | 国司 [SEP] 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので(詳細は古代日本の地方官制を参照)、中央からの支配のかなめは赴任した国司たちにあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司たちは国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。 | 郡の官吏の初期の頃の任期は? | {
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a10573p1q3 | 国司 | 国司 [SEP] 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので(詳細は古代日本の地方官制を参照)、中央からの支配のかなめは赴任した国司たちにあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司たちは国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。 | 任期は何年か? | {
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a10573p1q4 | 国司 | 国司 [SEP] 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので(詳細は古代日本の地方官制を参照)、中央からの支配のかなめは赴任した国司たちにあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司たちは国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。 | 国司の任期は何年 | {
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a10573p10q0 | 国司 | 国司 [SEP] 鎌倉時代にも国司は存続したが、鎌倉幕府によって各地に配置された地頭が積極的に荘園、そして国司が管理していた国衙領へ侵出していった。当然、国司はこれに抵抗したが、地頭は国衙領へ侵出することで、徐々に国司の支配権を奪っていった。 | 鎌倉時代以前に国衙領を管理していたのは何という役職か。 | {
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a10573p10q1 | 国司 | 国司 [SEP] 鎌倉時代にも国司は存続したが、鎌倉幕府によって各地に配置された地頭が積極的に荘園、そして国司が管理していた国衙領へ侵出していった。当然、国司はこれに抵抗したが、地頭は国衙領へ侵出することで、徐々に国司の支配権を奪っていった。 | 国司が管理していた国衙領へ侵出していったのは? | {
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a10573p10q2 | 国司 | 国司 [SEP] 鎌倉時代にも国司は存続したが、鎌倉幕府によって各地に配置された地頭が積極的に荘園、そして国司が管理していた国衙領へ侵出していった。当然、国司はこれに抵抗したが、地頭は国衙領へ侵出することで、徐々に国司の支配権を奪っていった。 | 鎌倉時代には何が存続した? | {
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a10573p10q3 | 国司 | 国司 [SEP] 鎌倉時代にも国司は存続したが、鎌倉幕府によって各地に配置された地頭が積極的に荘園、そして国司が管理していた国衙領へ侵出していった。当然、国司はこれに抵抗したが、地頭は国衙領へ侵出することで、徐々に国司の支配権を奪っていった。 | 国衙領へ侵出することで、徐々に国司の支配権を奪っていったのは誰 | {
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a10573p11q0 | 国司 | 国司 [SEP] 室町時代になると、守護に大幅な権限、例えば半済給付権、使節遵行権などが付与された。これらの権限は、国司が管理する国衙領においても強力な効力を発揮し、その結果、国司の権限が大幅に守護へ移ることとなった。 | 室町時代、守護に付与された権限は何か。 | {
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"半済給付権、使節遵行権"
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a10573p11q1 | 国司 | 国司 [SEP] 室町時代になると、守護に大幅な権限、例えば半済給付権、使節遵行権などが付与された。これらの権限は、国司が管理する国衙領においても強力な効力を発揮し、その結果、国司の権限が大幅に守護へ移ることとなった。 | 室町時代になると、だれに大幅な権限された? | {
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a10573p11q2 | 国司 | 国司 [SEP] 室町時代になると、守護に大幅な権限、例えば半済給付権、使節遵行権などが付与された。これらの権限は、国司が管理する国衙領においても強力な効力を発揮し、その結果、国司の権限が大幅に守護へ移ることとなった。 | 守護に与えられた大幅な権限とは? | {
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"半済給付権、使節遵行権など"
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a10573p11q3 | 国司 | 国司 [SEP] 室町時代になると、守護に大幅な権限、例えば半済給付権、使節遵行権などが付与された。これらの権限は、国司が管理する国衙領においても強力な効力を発揮し、その結果、国司の権限が大幅に守護へ移ることとなった。 | 守護に大幅な権限、例えば半済給付権、使節遵行権などが付与されたのはいつ | {
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"室町時代"
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a10573p12q0 | 国司 | 国司 [SEP] 江戸幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われた(武家官位)。しかしこれらの「名乗り」は名目上のものであったため、同時期に複数の人物が同じ国司名を名乗ることも多かった。ただし、国持大名が自分の領国の国司を名乗るのは一種の特権とされており、小倉藩から熊本藩へ加増転封されて肥後国主となった細川忠利は息子光尚の元服時に「肥後守」を名乗れるよう運動している。 | 江戸幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われたことを何という? | {
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"武家官位"
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a10573p12q1 | 国司 | 国司 [SEP] 江戸幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われた(武家官位)。しかしこれらの「名乗り」は名目上のものであったため、同時期に複数の人物が同じ国司名を名乗ることも多かった。ただし、国持大名が自分の領国の国司を名乗るのは一種の特権とされており、小倉藩から熊本藩へ加増転封されて肥後国主となった細川忠利は息子光尚の元服時に「肥後守」を名乗れるよう運動している。 | 何幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われたか? | {
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"江戸"
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a10573p12q2 | 国司 | 国司 [SEP] 江戸幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われた(武家官位)。しかしこれらの「名乗り」は名目上のものであったため、同時期に複数の人物が同じ国司名を名乗ることも多かった。ただし、国持大名が自分の領国の国司を名乗るのは一種の特権とされており、小倉藩から熊本藩へ加増転封されて肥後国主となった細川忠利は息子光尚の元服時に「肥後守」を名乗れるよう運動している。 | 大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われたのはいつ | {
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"江戸幕府成立以降"
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a10573p12q3 | 国司 | 国司 [SEP] 江戸幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われた(武家官位)。しかしこれらの「名乗り」は名目上のものであったため、同時期に複数の人物が同じ国司名を名乗ることも多かった。ただし、国持大名が自分の領国の国司を名乗るのは一種の特権とされており、小倉藩から熊本藩へ加増転封されて肥後国主となった細川忠利は息子光尚の元服時に「肥後守」を名乗れるよう運動している。 | 大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で行ったのは? | {
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"家格に応じて国司名を称する"
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a10573p12q4 | 国司 | 国司 [SEP] 江戸幕府成立以降は、大名や旗本、一部の上級陪臣が幕府の許可を得た上で、家格に応じて国司名を称することが行われた(武家官位)。しかしこれらの「名乗り」は名目上のものであったため、同時期に複数の人物が同じ国司名を名乗ることも多かった。ただし、国持大名が自分の領国の国司を名乗るのは一種の特権とされており、小倉藩から熊本藩へ加増転封されて肥後国主となった細川忠利は息子光尚の元服時に「肥後守」を名乗れるよう運動している。 | 細川忠利は小倉藩からどこへ加増転封されたか。 | {
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a10573p13q0 | 国司 | 国司 [SEP] 国司の格や役職数も時勢に基づき変動したが、基本的に官位相当は大国の守は従五位上、上国の守は従五位下、中国の守と大国の介は従六位下、上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則が大宝令・養老令に定められていたものの、実際には各国の国司の繁忙さに合わせて国司の人員調整が行われていた。これを示すものとして、以下のような例がある。 | 上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則とは? | {
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"大宝令・養老令"
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a10573p13q1 | 国司 | 国司 [SEP] 国司の格や役職数も時勢に基づき変動したが、基本的に官位相当は大国の守は従五位上、上国の守は従五位下、中国の守と大国の介は従六位下、上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則が大宝令・養老令に定められていたものの、実際には各国の国司の繁忙さに合わせて国司の人員調整が行われていた。これを示すものとして、以下のような例がある。 | 国司の格や役職数も何に基づき変動したか? | {
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"時勢"
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a10573p13q2 | 国司 | 国司 [SEP] 国司の格や役職数も時勢に基づき変動したが、基本的に官位相当は大国の守は従五位上、上国の守は従五位下、中国の守と大国の介は従六位下、上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則が大宝令・養老令に定められていたものの、実際には各国の国司の繁忙さに合わせて国司の人員調整が行われていた。これを示すものとして、以下のような例がある。 | なにや役職数も時勢に基づき変動したか | {
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"国司の格"
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a10573p13q3 | 国司 | 国司 [SEP] 国司の格や役職数も時勢に基づき変動したが、基本的に官位相当は大国の守は従五位上、上国の守は従五位下、中国の守と大国の介は従六位下、上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則が大宝令・養老令に定められていたものの、実際には各国の国司の繁忙さに合わせて国司の人員調整が行われていた。これを示すものとして、以下のような例がある。 | 上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則が定められていたのは、どの法令か。 | {
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"大宝令・養老令"
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a10573p2q0 | 国司 | 国司 [SEP] 『日本書紀』には、大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている。このとき、全国一律に国司が設置されたとは考えられておらず、また当初は国宰(くにのみこともち)という呼称が用いられたと言われており、国宰の上には数ヶ国を統括する大宰(おほ みこともち)が設置されたという(「大宰府」の語はその名残だと言われている)。その後7世紀末までに令制国の制度が確立し、それに伴って国司が全国的に配置されるようになったとされている。 | 大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている書物は? | {
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a10573p2q1 | 国司 | 国司 [SEP] 『日本書紀』には、大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている。このとき、全国一律に国司が設置されたとは考えられておらず、また当初は国宰(くにのみこともち)という呼称が用いられたと言われており、国宰の上には数ヶ国を統括する大宰(おほ みこともち)が設置されたという(「大宰府」の語はその名残だと言われている)。その後7世紀末までに令制国の制度が確立し、それに伴って国司が全国的に配置されるようになったとされている。 | 何に大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されているか? | {
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a10573p2q2 | 国司 | 国司 [SEP] 『日本書紀』には、大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている。このとき、全国一律に国司が設置されたとは考えられておらず、また当初は国宰(くにのみこともち)という呼称が用いられたと言われており、国宰の上には数ヶ国を統括する大宰(おほ みこともち)が設置されたという(「大宰府」の語はその名残だと言われている)。その後7世紀末までに令制国の制度が確立し、それに伴って国司が全国的に配置されるようになったとされている。 | 大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられると記録されている書物は | {
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a10573p2q3 | 国司 | 国司 [SEP] 『日本書紀』には、大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている。このとき、全国一律に国司が設置されたとは考えられておらず、また当初は国宰(くにのみこともち)という呼称が用いられたと言われており、国宰の上には数ヶ国を統括する大宰(おほ みこともち)が設置されたという(「大宰府」の語はその名残だと言われている)。その後7世紀末までに令制国の制度が確立し、それに伴って国司が全国的に配置されるようになったとされている。 | 大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている書物は | {
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a10573p2q4 | 国司 | 国司 [SEP] 『日本書紀』には、大化の改新時の改新の詔において、穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている。このとき、全国一律に国司が設置されたとは考えられておらず、また当初は国宰(くにのみこともち)という呼称が用いられたと言われており、国宰の上には数ヶ国を統括する大宰(おほ みこともち)が設置されたという(「大宰府」の語はその名残だと言われている)。その後7世紀末までに令制国の制度が確立し、それに伴って国司が全国的に配置されるようになったとされている。 | 穂積咋が東国国司に任じられるなど、国司を置いたことが記録されている書物は? | {
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a10573p3q0 | 国司 | 国司 [SEP] 8世紀初頭の大宝元年(701年)に制定された大宝律令で、日本国内は国・郡・里の三段階の行政組織である国郡里制に編成され、地方分権的な律令制が布かれることとなった。律令制において、国司は非常に重要な位置に置かれた。律令制を根幹的に支えた班田収授制は、戸籍の作成、田地の班給、租庸調の収取などから構成されていたが、これらはいずれも国司の職務であった。このように、律令制の理念を日本全国に貫徹することが国司に求められていたのである。 | 大宝律令は西暦何年に制定されたか? | {
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a10573p3q1 | 国司 | 国司 [SEP] 8世紀初頭の大宝元年(701年)に制定された大宝律令で、日本国内は国・郡・里の三段階の行政組織である国郡里制に編成され、地方分権的な律令制が布かれることとなった。律令制において、国司は非常に重要な位置に置かれた。律令制を根幹的に支えた班田収授制は、戸籍の作成、田地の班給、租庸調の収取などから構成されていたが、これらはいずれも国司の職務であった。このように、律令制の理念を日本全国に貫徹することが国司に求められていたのである。 | 大宝元年は西暦何年? | {
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a10573p3q2 | 国司 | 国司 [SEP] 8世紀初頭の大宝元年(701年)に制定された大宝律令で、日本国内は国・郡・里の三段階の行政組織である国郡里制に編成され、地方分権的な律令制が布かれることとなった。律令制において、国司は非常に重要な位置に置かれた。律令制を根幹的に支えた班田収授制は、戸籍の作成、田地の班給、租庸調の収取などから構成されていたが、これらはいずれも国司の職務であった。このように、律令制の理念を日本全国に貫徹することが国司に求められていたのである。 | 大宝元年は西暦何年 | {
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a10573p3q3 | 国司 | 国司 [SEP] 8世紀初頭の大宝元年(701年)に制定された大宝律令で、日本国内は国・郡・里の三段階の行政組織である国郡里制に編成され、地方分権的な律令制が布かれることとなった。律令制において、国司は非常に重要な位置に置かれた。律令制を根幹的に支えた班田収授制は、戸籍の作成、田地の班給、租庸調の収取などから構成されていたが、これらはいずれも国司の職務であった。このように、律令制の理念を日本全国に貫徹することが国司に求められていたのである。 | 大宝元年は何年 | {
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"701年"
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a10573p3q4 | 国司 | 国司 [SEP] 8世紀初頭の大宝元年(701年)に制定された大宝律令で、日本国内は国・郡・里の三段階の行政組織である国郡里制に編成され、地方分権的な律令制が布かれることとなった。律令制において、国司は非常に重要な位置に置かれた。律令制を根幹的に支えた班田収授制は、戸籍の作成、田地の班給、租庸調の収取などから構成されていたが、これらはいずれも国司の職務であった。このように、律令制の理念を日本全国に貫徹することが国司に求められていたのである。 | 大宝律令は西暦何年に制定された? | {
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"701年"
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a10573p4q0 | 国司 | 国司 [SEP] 国司は中央の官人が任命されて家族を連れて任国に赴くことが認められていた。また、公務の都合などで在任中もたびたび上京しており、在任中ずっと帰京できなかった訳ではなかった。 | 中央の官人が任命されて家族を連れて任国に赴くことが認められている役人のことは | {
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a10573p4q1 | 国司 | 国司 [SEP] 国司は中央の官人が任命されて家族を連れて任国に赴くことが認められていた。また、公務の都合などで在任中もたびたび上京しており、在任中ずっと帰京できなかった訳ではなかった。 | 国司はどのような人が任命されるか | {
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"中央の官人"
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a10573p4q2 | 国司 | 国司 [SEP] 国司は中央の官人が任命されて家族を連れて任国に赴くことが認められていた。また、公務の都合などで在任中もたびたび上京しており、在任中ずっと帰京できなかった訳ではなかった。 | 中央の官人が任命されて家族を連れて任国に赴くことが認められていた人は? | {
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a10573p5q0 | 国司 | 国司 [SEP] 国司は通常は国府に設けられた国衙の中にある国庁で政務を行っているが、郡司の業務監査や農民への勧農などの業務を果たすために責任者である守が毎年1回国内の各郡を視察する義務があった。これを部内巡行という。 | 国司は何処で政務を行なっているか | {
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"国府に設けられた国衙の中にある国庁"
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a10573p5q1 | 国司 | 国司 [SEP] 国司は通常は国府に設けられた国衙の中にある国庁で政務を行っているが、郡司の業務監査や農民への勧農などの業務を果たすために責任者である守が毎年1回国内の各郡を視察する義務があった。これを部内巡行という。 | 国司は通常はどこで政務を行っているか | {
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"国府に設けられた国衙の中にある国庁"
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a10573p5q2 | 国司 | 国司 [SEP] 国司は通常は国府に設けられた国衙の中にある国庁で政務を行っているが、郡司の業務監査や農民への勧農などの業務を果たすために責任者である守が毎年1回国内の各郡を視察する義務があった。これを部内巡行という。 | 国司は責任者である守が毎年1回国内の各郡を視察する義務をなんという? | {
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"部内巡行"
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a10573p5q3 | 国司 | 国司 [SEP] 国司は通常は国府に設けられた国衙の中にある国庁で政務を行っているが、郡司の業務監査や農民への勧農などの業務を果たすために責任者である守が毎年1回国内の各郡を視察する義務があった。これを部内巡行という。 | 通常国府に設けられた国衙の中にある国庁で政務を行っているのは? | {
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a10573p6q0 | 国司 | 国司 [SEP] 平安時代の天長3年(826年)からは親王任国の制度が始まった。桓武天皇や平城天皇、嵯峨天皇は多くの皇子・皇女に恵まれたため充てるべき官職が不足し、親王の官職として親王任国の国司が充てられ、親王任国の国司筆頭官である守には必ず親王が補任されるようになった。親王任国の守となった親王は太守と称し、任国へ赴任しない遥任だったため、実務上の最高位は次官の介であった。 | 天長3年は西暦何年? | {
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a10573p6q1 | 国司 | 国司 [SEP] 平安時代の天長3年(826年)からは親王任国の制度が始まった。桓武天皇や平城天皇、嵯峨天皇は多くの皇子・皇女に恵まれたため充てるべき官職が不足し、親王の官職として親王任国の国司が充てられ、親王任国の国司筆頭官である守には必ず親王が補任されるようになった。親王任国の守となった親王は太守と称し、任国へ赴任しない遥任だったため、実務上の最高位は次官の介であった。 | 親王任国の守となった親王は何と呼ばれていたか | {
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a10573p6q2 | 国司 | 国司 [SEP] 平安時代の天長3年(826年)からは親王任国の制度が始まった。桓武天皇や平城天皇、嵯峨天皇は多くの皇子・皇女に恵まれたため充てるべき官職が不足し、親王の官職として親王任国の国司が充てられ、親王任国の国司筆頭官である守には必ず親王が補任されるようになった。親王任国の守となった親王は太守と称し、任国へ赴任しない遥任だったため、実務上の最高位は次官の介であった。 | 親王任国の制度が始まった年は? | {
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a10573p6q3 | 国司 | 国司 [SEP] 平安時代の天長3年(826年)からは親王任国の制度が始まった。桓武天皇や平城天皇、嵯峨天皇は多くの皇子・皇女に恵まれたため充てるべき官職が不足し、親王の官職として親王任国の国司が充てられ、親王任国の国司筆頭官である守には必ず親王が補任されるようになった。親王任国の守となった親王は太守と称し、任国へ赴任しない遥任だったため、実務上の最高位は次官の介であった。 | いつから親王任国の制度が始まったか | {
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"平安時代の天長3年(826年)"
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a10573p7q0 | 国司 | 国司 [SEP] また平安時代になると、朝廷は地方統治の方法を改め、国司には一定の租税納入を果たすことが主要任務とされ、従前の律令制的な人民統治は求められなくなっていった。それは、律令制的な統治方法によらなくとも、一定の租税を徴収することが可能になったからである。9世紀〜10世紀頃には田堵と呼ばれる富豪農民が登場し、時を同じくして、国衙(国司の役所)が支配していた公田が、名田という単位に再編された。国司は、田堵に名田を経営させ、名田からの租税納付を請け負わせることで、一定の租税額を確保するようになった(これを負名という)。律令制下では、人民一人ひとりに租税が課せられていたため、人民の個別支配が必要とされていたが、10世紀ごろになると、上記のように名田、すなわち土地を対象に租税賦課する体制(名体制(みょうたいせい))が確立したのである。 | 一定の租税納入を果たすことが主要任務とされたのは誰? | {
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a10573p7q1 | 国司 | 国司 [SEP] また平安時代になると、朝廷は地方統治の方法を改め、国司には一定の租税納入を果たすことが主要任務とされ、従前の律令制的な人民統治は求められなくなっていった。それは、律令制的な統治方法によらなくとも、一定の租税を徴収することが可能になったからである。9世紀〜10世紀頃には田堵と呼ばれる富豪農民が登場し、時を同じくして、国衙(国司の役所)が支配していた公田が、名田という単位に再編された。国司は、田堵に名田を経営させ、名田からの租税納付を請け負わせることで、一定の租税額を確保するようになった(これを負名という)。律令制下では、人民一人ひとりに租税が課せられていたため、人民の個別支配が必要とされていたが、10世紀ごろになると、上記のように名田、すなわち土地を対象に租税賦課する体制(名体制(みょうたいせい))が確立したのである。 | 国司の主要任務は何か | {
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"一定の租税納入"
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a10573p7q2 | 国司 | 国司 [SEP] また平安時代になると、朝廷は地方統治の方法を改め、国司には一定の租税納入を果たすことが主要任務とされ、従前の律令制的な人民統治は求められなくなっていった。それは、律令制的な統治方法によらなくとも、一定の租税を徴収することが可能になったからである。9世紀〜10世紀頃には田堵と呼ばれる富豪農民が登場し、時を同じくして、国衙(国司の役所)が支配していた公田が、名田という単位に再編された。国司は、田堵に名田を経営させ、名田からの租税納付を請け負わせることで、一定の租税額を確保するようになった(これを負名という)。律令制下では、人民一人ひとりに租税が課せられていたため、人民の個別支配が必要とされていたが、10世紀ごろになると、上記のように名田、すなわち土地を対象に租税賦課する体制(名体制(みょうたいせい))が確立したのである。 | 土地を対象に租税賦課する体制とは? | {
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a10573p7q3 | 国司 | 国司 [SEP] また平安時代になると、朝廷は地方統治の方法を改め、国司には一定の租税納入を果たすことが主要任務とされ、従前の律令制的な人民統治は求められなくなっていった。それは、律令制的な統治方法によらなくとも、一定の租税を徴収することが可能になったからである。9世紀〜10世紀頃には田堵と呼ばれる富豪農民が登場し、時を同じくして、国衙(国司の役所)が支配していた公田が、名田という単位に再編された。国司は、田堵に名田を経営させ、名田からの租税納付を請け負わせることで、一定の租税額を確保するようになった(これを負名という)。律令制下では、人民一人ひとりに租税が課せられていたため、人民の個別支配が必要とされていたが、10世紀ごろになると、上記のように名田、すなわち土地を対象に租税賦課する体制(名体制(みょうたいせい))が確立したのである。 | 律令制下では、人民一人ひとりに何税が課せられていたか | {
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a10573p8q0 | 国司 | 国司 [SEP] 一定の租税収入が確保されると、任国へ赴任しない遥任国司が多数現れるようになった。そして国司(守、介、掾、目)の中の実際に現地赴任する最高責任者を受領と呼ぶようになった(またそれより下位の国司を任用と呼ぶようになった)。王朝国家体制への転換の中で、受領は一定額の租税の国庫納付を果たしさえすれば、朝廷の制限を受けることなく、それ以上の収入を私的に獲得・蓄積することができるようになった。 | 国司(守、介、掾、目)の中の実際に現地赴任する最高責任者を何と呼ぶ? | {
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a10573p8q1 | 国司 | 国司 [SEP] 一定の租税収入が確保されると、任国へ赴任しない遥任国司が多数現れるようになった。そして国司(守、介、掾、目)の中の実際に現地赴任する最高責任者を受領と呼ぶようになった(またそれより下位の国司を任用と呼ぶようになった)。王朝国家体制への転換の中で、受領は一定額の租税の国庫納付を果たしさえすれば、朝廷の制限を受けることなく、それ以上の収入を私的に獲得・蓄積することができるようになった。 | 現地赴任する最高責任者は何と呼ばれたか | {
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"受領"
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a10573p8q2 | 国司 | 国司 [SEP] 一定の租税収入が確保されると、任国へ赴任しない遥任国司が多数現れるようになった。そして国司(守、介、掾、目)の中の実際に現地赴任する最高責任者を受領と呼ぶようになった(またそれより下位の国司を任用と呼ぶようになった)。王朝国家体制への転換の中で、受領は一定額の租税の国庫納付を果たしさえすれば、朝廷の制限を受けることなく、それ以上の収入を私的に獲得・蓄積することができるようになった。 | 国司(守、介、掾、目)の中の実際に現地赴任する最高責任者をなんと呼ぶようになった? | {
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"受領"
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a10573p8q3 | 国司 | 国司 [SEP] 一定の租税収入が確保されると、任国へ赴任しない遥任国司が多数現れるようになった。そして国司(守、介、掾、目)の中の実際に現地赴任する最高責任者を受領と呼ぶようになった(またそれより下位の国司を任用と呼ぶようになった)。王朝国家体制への転換の中で、受領は一定額の租税の国庫納付を果たしさえすれば、朝廷の制限を受けることなく、それ以上の収入を私的に獲得・蓄積することができるようになった。 | 一定の租税収入が確保されると、何が多数現れるようになったか | {
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"任国へ赴任しない遥任国司"
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a10573p9q0 | 国司 | 国司 [SEP] 国司の選任に当たっては、その国に住み所領を持つ者は、癒着を防止するという観点から任命を避けるという慣例があった。寛弘3年(1006年)1月28日の除目において、右大臣藤原顕光が伊勢守に平維衡を推挙したが、藤原道長が「維衡はかつて伊勢国で事件を起こしたものである」ことを理由に反対している。この「事件」とは、かつて維衡が伊勢において平致頼と合戦を起こしたことである。なお道長は8年後の長和3年2月の除目で、清和源氏である源頼親を摂津守に推挙するという矛盾した行動をとっている。 | 右大臣藤原顕光が伊勢守に平維衡を推挙したのはいつ | {
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"寛弘3年(1006年)1月28日"
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a10573p9q1 | 国司 | 国司 [SEP] 国司の選任に当たっては、その国に住み所領を持つ者は、癒着を防止するという観点から任命を避けるという慣例があった。寛弘3年(1006年)1月28日の除目において、右大臣藤原顕光が伊勢守に平維衡を推挙したが、藤原道長が「維衡はかつて伊勢国で事件を起こしたものである」ことを理由に反対している。この「事件」とは、かつて維衡が伊勢において平致頼と合戦を起こしたことである。なお道長は8年後の長和3年2月の除目で、清和源氏である源頼親を摂津守に推挙するという矛盾した行動をとっている。 | 右大臣藤原顕光が伊勢守に平維衡を推挙したのはいつか? | {
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"寛弘3年(1006年)1月28日"
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a10573p9q2 | 国司 | 国司 [SEP] 国司の選任に当たっては、その国に住み所領を持つ者は、癒着を防止するという観点から任命を避けるという慣例があった。寛弘3年(1006年)1月28日の除目において、右大臣藤原顕光が伊勢守に平維衡を推挙したが、藤原道長が「維衡はかつて伊勢国で事件を起こしたものである」ことを理由に反対している。この「事件」とは、かつて維衡が伊勢において平致頼と合戦を起こしたことである。なお道長は8年後の長和3年2月の除目で、清和源氏である源頼親を摂津守に推挙するという矛盾した行動をとっている。 | 伊勢守に平維衡を推挙したのは誰か。 | {
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"右大臣藤原顕光"
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a10573p9q3 | 国司 | 国司 [SEP] 国司の選任に当たっては、その国に住み所領を持つ者は、癒着を防止するという観点から任命を避けるという慣例があった。寛弘3年(1006年)1月28日の除目において、右大臣藤原顕光が伊勢守に平維衡を推挙したが、藤原道長が「維衡はかつて伊勢国で事件を起こしたものである」ことを理由に反対している。この「事件」とは、かつて維衡が伊勢において平致頼と合戦を起こしたことである。なお道長は8年後の長和3年2月の除目で、清和源氏である源頼親を摂津守に推挙するという矛盾した行動をとっている。 | 国司として任命を避けるのは | {
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"その国に住み所領を持つ者"
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a1058p0q0 | コントラバス | コントラバス [SEP] コントラバスとは別に、電気楽器としてエレクトリックベース、電子楽器としてシンセベース(キーボードベース)も存在する。また、エレクトリック・アップライト・ベースもある。ダブル・ベース・ドラムという楽器の用語があるが、こちらは通常のベースドラム(バスドラム)を二個使っているという意味でダブルであり、本項の意味とは異なる。 | コントラバスとは何のこと | {
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a1058p0q1 | コントラバス | コントラバス [SEP] コントラバスとは別に、電気楽器としてエレクトリックベース、電子楽器としてシンセベース(キーボードベース)も存在する。また、エレクトリック・アップライト・ベースもある。ダブル・ベース・ドラムという楽器の用語があるが、こちらは通常のベースドラム(バスドラム)を二個使っているという意味でダブルであり、本項の意味とは異なる。 | コントラバスとは別に、電気楽器として何ベースも存在する? | {
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a1058p0q2 | コントラバス | コントラバス [SEP] コントラバスとは別に、電気楽器としてエレクトリックベース、電子楽器としてシンセベース(キーボードベース)も存在する。また、エレクトリック・アップライト・ベースもある。ダブル・ベース・ドラムという楽器の用語があるが、こちらは通常のベースドラム(バスドラム)を二個使っているという意味でダブルであり、本項の意味とは異なる。 | 通常のベースドラムの別名は | {
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a1058p0q3 | コントラバス | コントラバス [SEP] コントラバスとは別に、電気楽器としてエレクトリックベース、電子楽器としてシンセベース(キーボードベース)も存在する。また、エレクトリック・アップライト・ベースもある。ダブル・ベース・ドラムという楽器の用語があるが、こちらは通常のベースドラム(バスドラム)を二個使っているという意味でダブルであり、本項の意味とは異なる。 | 楽器の一つで、大きいものは | {
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a1058p1q0 | コントラバス | コントラバス [SEP] 類似する低音弦楽器であるチェロがヴァイオリン属の楽器であるのに対して、コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴はヴィオラ・ダ・ガンバ属に由来する。現代のコントラバスはヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっている(ヴィオローネを参照)。 | コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴は何に由来するか | {
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a1058p1q1 | コントラバス | コントラバス [SEP] 類似する低音弦楽器であるチェロがヴァイオリン属の楽器であるのに対して、コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴はヴィオラ・ダ・ガンバ属に由来する。現代のコントラバスはヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっている(ヴィオローネを参照)。 | バイオリンと似た弦楽器は | {
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a1058p1q2 | コントラバス | コントラバス [SEP] 類似する低音弦楽器であるチェロがヴァイオリン属の楽器であるのに対して、コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴はヴィオラ・ダ・ガンバ属に由来する。現代のコントラバスはヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっている(ヴィオローネを参照)。 | 現在、ヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっているのは? | {
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"コントラバス"
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a1058p1q3 | コントラバス | コントラバス [SEP] 類似する低音弦楽器であるチェロがヴァイオリン属の楽器であるのに対して、コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴はヴィオラ・ダ・ガンバ属に由来する。現代のコントラバスはヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっている(ヴィオローネを参照)。 | チェロの何属の楽器 | {
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a1058p1q4 | コントラバス | コントラバス [SEP] 類似する低音弦楽器であるチェロがヴァイオリン属の楽器であるのに対して、コントラバスに見られる、なで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方(ジャーマン式)といった特徴はヴィオラ・ダ・ガンバ属に由来する。現代のコントラバスはヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の中間に位置する楽器となっている(ヴィオローネを参照)。 | チェロの属は? | {
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"ヴァイオリン属"
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a1058p10q0 | コントラバス | コントラバス [SEP] 独奏曲の楽譜には実音で表記されているものもある。また、ソロチューニングの時は同じ記譜で同じ演奏法となるように、短7度低い音の出る移調楽器として書かれる。高音部はテノール記号またはヴァイオリン記号を用いる。コントラバスの独奏曲の作品には、このソロチューニングで書かれているものが多い。 | いいから目線のゴール | {
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"コントラバス"
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a1058p10q1 | コントラバス | コントラバス [SEP] 独奏曲の楽譜には実音で表記されているものもある。また、ソロチューニングの時は同じ記譜で同じ演奏法となるように、短7度低い音の出る移調楽器として書かれる。高音部はテノール記号またはヴァイオリン記号を用いる。コントラバスの独奏曲の作品には、このソロチューニングで書かれているものが多い。 | は同じ記譜で同じ演奏法となるように、短7度低い音の出る移調楽器として書かれる | {
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"独奏曲の楽譜"
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a1058p10q2 | コントラバス | コントラバス [SEP] 独奏曲の楽譜には実音で表記されているものもある。また、ソロチューニングの時は同じ記譜で同じ演奏法となるように、短7度低い音の出る移調楽器として書かれる。高音部はテノール記号またはヴァイオリン記号を用いる。コントラバスの独奏曲の作品には、このソロチューニングで書かれているものが多い。 | コントラバスはソロチューニングのときどのように書かれるか?ら | {
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"短7度低い音の出る移調楽器"
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a1058p10q3 | コントラバス | コントラバス [SEP] 独奏曲の楽譜には実音で表記されているものもある。また、ソロチューニングの時は同じ記譜で同じ演奏法となるように、短7度低い音の出る移調楽器として書かれる。高音部はテノール記号またはヴァイオリン記号を用いる。コントラバスの独奏曲の作品には、このソロチューニングで書かれているものが多い。 | コントラバスの楽譜は、何チューニングで書かれるものが多いか。 | {
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a1058p11q0 | コントラバス | コントラバス [SEP] 立って演奏する場合、立てた楽器の横に左半身を添わせて左足や腰の左側で楽器を支えることが多い。各弦の低音の演奏には、左手の指をポジション(後述)に置き、親指を中指にほぼ対向させて、棹を挟む。高音部では親指も弦を押さえるのに使うため弦の上に置き、左半身で楽器を抱え込むようにする。 | コントラバスを立って演奏する場合、立てた楽器の横に何半身を添わせて足や腰で楽器を支えることが多いか。 | {
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"左半身"
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a1058p12q0 | コントラバス | コントラバス [SEP] 交響曲など、長い曲を弾く時には椅子を使うことも多い。椅子は座っても立ったときと姿勢があまり変わらないような高いもの(専用として設計されているものが市販されている)を使い、立って演奏するときより楽器をいくぶん寝かせて構える奏者も多い。 | 問い合わせてきたんです | {
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"コントラバス"
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a1058p12q1 | コントラバス | コントラバス [SEP] 交響曲など、長い曲を弾く時には椅子を使うことも多い。椅子は座っても立ったときと姿勢があまり変わらないような高いもの(専用として設計されているものが市販されている)を使い、立って演奏するときより楽器をいくぶん寝かせて構える奏者も多い。 | コントラバスを弾く時に長い時間の時はどうするか? | {
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"椅子を使うことも多い。"
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a1058p12q2 | コントラバス | コントラバス [SEP] 交響曲など、長い曲を弾く時には椅子を使うことも多い。椅子は座っても立ったときと姿勢があまり変わらないような高いもの(専用として設計されているものが市販されている)を使い、立って演奏するときより楽器をいくぶん寝かせて構える奏者も多い。 | 長い曲を弾く時には椅子を使うことも多い | {
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"コントラバス"
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a1058p12q3 | コントラバス | コントラバス [SEP] 交響曲など、長い曲を弾く時には椅子を使うことも多い。椅子は座っても立ったときと姿勢があまり変わらないような高いもの(専用として設計されているものが市販されている)を使い、立って演奏するときより楽器をいくぶん寝かせて構える奏者も多い。 | コントラバスでは、交響曲など、長い曲を弾く時には何を使うことも多いか。 | {
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"椅子"
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a1058p13q0 | コントラバス | コントラバス [SEP] 右手で弓を使って演奏する。コントラバスの歴史的背景により、弓は「ジャーマン・ボウ」と「フレンチ・ボウ」の二種類が存在する。 | 右手で弓を使って演奏する楽器は | {
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"コントラバス"
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a1058p13q1 | コントラバス | コントラバス [SEP] 右手で弓を使って演奏する。コントラバスの歴史的背景により、弓は「ジャーマン・ボウ」と「フレンチ・ボウ」の二種類が存在する。 | コントラバスの弓を持つのは右?左? | {
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"右手"
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a1058p13q2 | コントラバス | コントラバス [SEP] 右手で弓を使って演奏する。コントラバスの歴史的背景により、弓は「ジャーマン・ボウ」と「フレンチ・ボウ」の二種類が存在する。 | 弓は2種類あるが、ジャーマン・ボウとあと何がある? | {
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"フレンチ・ボウ"
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a1058p13q3 | コントラバス | コントラバス [SEP] 右手で弓を使って演奏する。コントラバスの歴史的背景により、弓は「ジャーマン・ボウ」と「フレンチ・ボウ」の二種類が存在する。 | 弓は「ジャーマン・ボウ」と何の二種類が存在する | {
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"フレンチ・ボウ"
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a1058p13q4 | コントラバス | コントラバス [SEP] 右手で弓を使って演奏する。コントラバスの歴史的背景により、弓は「ジャーマン・ボウ」と「フレンチ・ボウ」の二種類が存在する。 | コントラバスは何を使って演奏する? | {
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a1058p14q0 | コントラバス | コントラバス [SEP] ジャーマン・ボウは、同属であるヴィオラ・ダ・ガンバ属で使われる弓(現在でもバロック・ボウとして購入出来る)の形を残している弓である。弓の持ち方はヴィオラ・ダ・ガンバ属特有であり、毛箱を下から包み込むようにして持つ。 | ジャーマン・ボウは現在でも何として購入出来る? | {
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a1058p14q1 | コントラバス | コントラバス [SEP] ジャーマン・ボウは、同属であるヴィオラ・ダ・ガンバ属で使われる弓(現在でもバロック・ボウとして購入出来る)の形を残している弓である。弓の持ち方はヴィオラ・ダ・ガンバ属特有であり、毛箱を下から包み込むようにして持つ。 | 同属であるヴィオラ・ダ・ガンバ属で使われる弓(現在でもバロック・ボウとして購入出来る)の形を残している弓を何という? | {
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"ジャーマン・ボウ"
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a1058p14q2 | コントラバス | コントラバス [SEP] ジャーマン・ボウは、同属であるヴィオラ・ダ・ガンバ属で使われる弓(現在でもバロック・ボウとして購入出来る)の形を残している弓である。弓の持ち方はヴィオラ・ダ・ガンバ属特有であり、毛箱を下から包み込むようにして持つ。 | ジャーマン・ボウはどうやって持つ? | {
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"毛箱を下から包み込むようにして持つ"
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a1058p14q3 | コントラバス | コントラバス [SEP] ジャーマン・ボウは、同属であるヴィオラ・ダ・ガンバ属で使われる弓(現在でもバロック・ボウとして購入出来る)の形を残している弓である。弓の持ち方はヴィオラ・ダ・ガンバ属特有であり、毛箱を下から包み込むようにして持つ。 | 弓の持ち方は? | {
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"毛箱を下から包み込むようにして持つ。"
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a1058p15q0 | コントラバス | コントラバス [SEP] フレンチ・ボウは、現代のヴァイオリンやヴィオラ、チェロの弓と同じ構造の弓である。弓の持ち方はチェロの場合と似ている。ジョバンニ・ボッテジーニが考案したとされる。 | 現代のヴァイオリンやヴィオラ、チェロの弓と同じ構造の弓である楽器は | {
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"コントラバス"
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a1058p15q1 | コントラバス | コントラバス [SEP] フレンチ・ボウは、現代のヴァイオリンやヴィオラ、チェロの弓と同じ構造の弓である。弓の持ち方はチェロの場合と似ている。ジョバンニ・ボッテジーニが考案したとされる。 | フレンチ・ボウを考案したのは誰? | {
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"ジョバンニ・ボッテジーニ"
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